« 編集室の窓:『書斎の窓』2006年12月号に掲載 | トップページ | 特集:キーワードシリーズ »

2006年11月11日 (土)

編集部員より:神保町いまむかし

T.A.

 神保町の「いま」と「むかし」について,はて,何を知っているだろうかと困ってしまった。

 私が入社したのは1976年1月,もちろん学生時代に古書店によく来たおぼえはある。学生時代には板橋方面から専修大学前あたりまでの都電のうち,板橋方面から巣鴨駅までが廃止され,地下鉄(今の三田線)工事の真っ最中,バス通学は時間が読めず,泣かされたこと数次。

 その残った都電で神保町まで来て神保町交差点(靖国通りと白山通りの交差点)で下車するのだが,いま,キムラヤというディスカウント・ショップが入っているところとか,スーツ屋さん(その前は第一勧銀だった)が,もともと何だったのかがおもい出せない。

 入社当時の名のまま残っている店は書店を除き,「揚子江菜館」「新世界菜館」「三幸園」「桃園」(以上,中華料理),「ランチョン」(ビアホール),「山形屋」(和紙),「富士屋」(スーパーマーケット)くらいか。ランチョンは当時木造モルタル(?)の平屋で,かの吉田健一が奥のテーブルで一人ビールの杯を重ねていたのを見た記憶がある。ここは火事になっていまのビルに建て替わった。

 一番印象が強いのは,すずらん通りの,いま神田南神保町郵便局が入っているところである。なにしろ昼食を食べに毎日行っていた中華料理店だったのである。廬山菜館といった。中国史の舞台となった江西省九江市にある廬山に因んだのかは不明。定食が5つあり毎日日替わりで一週間もつ。食べに行った小社の社員もけっこういることだろう。

 小社のお隣の集英社も外観が大きく変わった口だ。ここも私の入社当時は木造モルタル(??)の6階建てだった気がするが,何年かたつと今の近代的な立派なビルになっていた。前の建物のときは最上階に社員食堂があり,定年でやめたH氏と何度か食べに行ったことがある。H氏は常連であったが,とうとう集英社の社員でないことがバレて行けなくなってしまった。そういう時代だったというのか,今では考えられないセキュリティのなさで,おかげで何度か安く昼食を食べることができた。その集英社は,その後も猿楽町のビルを購入したり,昨年はまた,専大前交差点の城南信用の裏にビルを建てたりと,親とも言える隣の小学館を凌ぐ成長ぶりで,ますます変化を遂げている。

 いまはあまりないようだが,この2社のおかげか芸能人がよく来ていた。よくおぼえているのは,本社前で「子育てごっこ」(だと思う)を撮っていた相本久美子と,NHKの「澪つくし」に出ていた頃の沢口靖子だ。スターというのは本当に輝いているのだと了解した。

 当時の有斐閣は苦しい時代にあったが,こんな楽しいこともあったのだ。

« 編集室の窓:『書斎の窓』2006年12月号に掲載 | トップページ | 特集:キーワードシリーズ »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/198678/13907183

この記事へのトラックバック一覧です: 編集部員より:神保町いまむかし:

« 編集室の窓:『書斎の窓』2006年12月号に掲載 | トップページ | 特集:キーワードシリーズ »

twitter

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

Google+1

  • Google+1