本の詳細:『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』 あとがき
田所昌幸/編
『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』
2006年4月刊
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あとがき
大学の教師,とりわけ文化系の教師は,暇に好きなことをやっているのだろうといったことは,世間一般の人だけではなく,研究室で実験を繰り返す理科系の教員からも言われたことがある。だが,ここ10数年間,差し迫った仕事を右から左に処理することに汲々とする毎日で,純然たる知的興味から資料を読み原稿を書く機会は非常に少ない,というのが私の実感である。
本書は,その意味で私にとって実に幸福な例外である。このプロジェクトは,2002年初めから私がイギリス外交を専門とする君塚,細谷,また防衛大学校の安全保障研究科で私が修士論文の指導を担当した海上自衛官の菅野,さらに軍事安全保障問題を専門とするムロイに個人的に声をかけて,2002年の春に立ち上げた。フランス海軍のことも知りたくなって,現在慶應義塾大学の大学院でフランス外交史を専攻する宮下に後で加わってもらった。それ以来,年に数回の研究会を開催して議論しながら,各人の担当を決め,お互いの認識を収斂させてできあがったのが本書である。というわけで,われわれは同門というわけでもなければ,同じ職場に属するわけでもなく,ただただこの時代のロイヤル・ネイヴィーとイギリス外交を語り合いたいという思いだけで集まった仲間である。
毎回の研究会はいつも楽しくて仕方がなった。専門領域を異にするわれわれが,いささか浮世離れしたこのテーマについてわいわいと話し合うこの研究会は,私にとっては学問の醍醐味そのものであり,最高の知的喜びだった。私もいつの間にか大学で教師を始めて20年以上が過ぎ,等閑視されがちな伝統的な外交史を精力的に研究している若い研究者を糾合して,指導などとてもできなくとも,一緒におもしろがって励ますことも貢献だろうなどと思い上がっていた。だが,いま振り返ってみると,結局誰よりもおもしろがっていたのは私自身だったのではないかと思う。
国際政治学者として,伝統的な常識からはやや周辺的な領域を取り扱ってきた私のこれまでの研究経歴を知る人には,外交史,それも19世紀のイギリス外交史と海軍をテーマにする企画に私がかかわっているのに,奇異な印象を持つ向きがあるだろう。それも当然で,私は戦略や軍事問題の専門家ではないし,文書館で一次史料を綿密に読み込む専門の外交史家ではない。そのため,この分野での研究上の蓄積で,専門家にとても太刀打ちできない。だが,こんな研究をしてみたいという思いは実はかなり前から持っていて,折にふれて文献を集めたり,少しずつ読みかじったりしていた。
外交史の大切さやおもしろさは,学生時代に指導していただいた高坂正堯先生からも聞かされていたが,そのころは19世紀の外交史など昔話でしかないと思っていた。しかし,それは大まちがいというもので,歴史は膨大な資料の発掘と同義ではないし,あらかじめ措定された「正しい」歴史認識の鋳型の中に事実を流し込んだりするものでもない。それは,遠い過去の出来事が示唆する洞察を読みとるとともに,適度な距離をとって生き生きとした現実を見る目を涵養する営みなのではないか。「おもしろいから歴史を勉強して,何が悪いんや」と,高坂先生が言っていたのを思い出す。また海軍という制度は,単に軍事の専門家や海戦史家に独占させるには,あまりにも奥深く意義深いテーマである。非専門家が集まって,すでに膨大な先行研究のある分野で,おおむね二次資料に依拠しながらこのような書物を世に問うのも,このような思いがあるからである。
出版にあたって,以下の方々に,文字通り心からのお礼を申し上げたい。まずは,3年間にわたってこのプロジェクトに研究助成をしていただいたサントリー文化財団は,公的助成にありがちな煩瑣な事務処理でわれわれが消耗させることなく,ともかくいい研究をしてほしいという思いが伝わるご支援をいただいた。みんなでポーツマスに出かけてヴィクトリーやウォリアーを見学したり,ロンドンでのロイヤル・ネイヴィーの提督たちと話し合ったりといった極上の知的贅沢は,サントリー文化財団のご理解なしには実現できなかっただろう。
現在,私と細谷が奉職する慶應義塾大学からも,学事振興資金による研究助成を2003年から2年間にわたって頂戴した。加えて,図書館の地下室で思いがけず19世紀のイギリス議会文書のオリジナルがそろっているのを見たときには,私は宝の山にぶつかった思いがした。貴重な資料をそろえ,研究助成をしてくださった私の職場にも感謝したい。
また,研究会でお話しいただいた数々の先生方,とりわけイギリス軍事産業について長年の研究をご紹介くださった明治大学の横井勝彦先生,海洋法関連の歴史的知見をご教示いただいた防衛大学校の真山全先生に,この場を借りてお礼を申し上げたい。そして,ここ数年私の研究のアシスタントをしてくれている昇亜美子さんと田中玲子さんにも,ずいぶん助けてもらった。
本書を,私の恩師である高坂正堯先生に捧げたい。直接指導を受けたのは編者の私だけだが,執筆者全員がその知的恩恵を被っているからである。古典外交や海洋国家論は共に高坂先生がずっと若いころに語られていたテーマだったことに気づいたのは,実はこのプロジェクトを立ち上げた後からだった。あらためて自分の至らなさを思い知るとともに,亡くなってもうこの5月でちょうど10年になる先生の残されたものの豊かさに,溜息をついてしまう。偉大な学者,教師とはそういうものなのだろう。先生の書かれたものの域に達しているとはとても思えないが,本書が海と歴史を愛する人々の知的関心にいささかでも応えられれば,先生も喜んでくださると思う。
2006年2月20日 三田の研究室で
執筆者一同を代表して 田所 昌幸
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