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2005年2月11日 (金)

編集部員より:表現多様性について

R.H.

美術の多様性をいうにしても,
たとえば,白髪一雄の油絵,草間弥生のオブジェ,
デュシャンの便器,光琳の屏風。
これらだけで美術表現の幅広さを言い尽くすことはできない。
大きさについていうと,
どれもが建物の中に収まってしまうほどでしかないからだ。
路上や海岸における数百メートルの表現や
自然を対象とした数キロの表現もある。
利用する材料手段だって,
光や水,植物や金属,泥や廃物,人間の排泄物と多様だ。
作品の在りようも,
偶然性をとりいれたもの,時間とともに変化するもの,
観客が参加するもの,
文字表現によって喚起されるイメージを想像すること自体が作品であるもの,
意味がなくインパクトを求めるもの,
インパクトもなくただ存在するだけのもの,
作品がなく空間だけが存在するもの。

ひとはこのような美術の過激な表現多様性を前にして,
顔をそむけるか,
ひたすら意味を考えるか,
戸惑って次の作品の前へ進むかだ。
こんなとき人間とはつくづく意味の動物だと気づく。
モノとしての作品を見た瞬間に,
作品を分類し,比較し,
主題を考えようとする精神の働きが始まるのを止めることは難しい。
そこから引き返して,
作品にひたすら対面することを試みようとすることもまた,
ことばに束縛された動物としての人間の行為だが,
当の作家たちが,時代や文化の束縛を超えたものを,
モノによって表現しようとしているらしいことも事実だ。

いっぽう言語のもつ抽象性ゆえに
脳の中では時空を超えて行き交うことができる。
その特性を生かしたのは文芸だ。
自由な文芸に比べると,
学術書を書くことは,
さらなる言語の束縛性を意識しながら,
時代・文化を照射するという重層的な行為のようだ。

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