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2003年6月30日 (月)

書評:『環境運動と新しい公共圏』 著者から評者へのリプライ

長谷川公一/著
『環境運動と新しい公共圏』

2003年4月刊
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《環境と市民の世紀》 をめざして
 ――『環境運動と新しい公共圏』 への批評に応えて

高村ゆかり先生による書評を受けて書かれたものです。)

 髙村ゆかりさんに初めてお目にかかったのは,2000年11月オランダのハーグで開かれた温暖化防止会議(COP6)の折にである。確かイギリス留学中とのことで,ハーグの国際会議場では,国際環境法学者として,CASA(地球環境と大気汚染を考える全国市民会議)などの日本のNGOを助けながら,難航する会議の行方を見つめておられた。次々発表される膨大な文書を「読解」しながら,NGOの出す論評などにアドバイスされ,NGOやメディアとの間で,文字どおりメディエーターやファシリテイター的な役割を忙しくこなされていた。そのほか松本泰子さん(東京理科大学諏訪短大(当時),水谷洋一さん(静岡大学),大島堅一さん(立命館大学),明日香寿川さん(東北大学)など,さまざまの専門分野の中堅・若手研究者が,NGO関係者と議論しながら連日熱心にCOP6ウォッチを続けておられた。日本でも,専門家が専門家としてNGOに参加・支援し,国際会議の現場で活躍する新しい時代が到来したことを目の当たりにする思いがした。

   霙ふるハーグの街の国連旗  冬虹

 ヨーロッパや日本のNGOの事情,国内外の温暖化政策の政策決定過程などに明るい髙村さんから,拙著のリアリティを共感をもって受け止めていただいたことは筆者にとって大変うれしい。「環境運動と政策形成のダイナミズム」という本書の主題は,いうまでもなく環境社会学の独壇場ではなく,環境法学・環境政治学・環境経済学・環境倫理学や自然系の環境学の研究者が,文字どおりコラボレーションすべき実践的・理論的課題である。拙著をめぐって,このような学際的な対話の機会をいただいたことに感謝したい。

 髙村さんは拙著に関して3つの論点を提示しておられる。それぞれにコメントすることでリプライとしたい。

                    *

 第1は「専門性と政策志向性を強めつつある環境運動の新しい動向のさらなる発展の要因を何に見いだすのか」という点である。この点については,そもそも新しい動向を筆者がやや楽観的に強調しすぎているのではないかということへの批判がありえよう。「半分水の入ったコップを,半分水が入っていると見るのか,半分空だと見るのか」という英語のジョークがある。新しさや変化をより重視するのか,過去との連続性や変わりにくい側面を強調するのか。どちらに重点をおくのかということ自体,視点や問題関心,論者それぞれの「フレーム」に依存する。

 論者がおもにどのような現実の環境運動を念頭において議論を組み立てているのか,という背後仮説のもととなる原イメージも不可欠の点である。筆者の場合には,名古屋新幹線公害問題(舩橋晴俊ほかとの共著『新幹線公害』有斐閣,1985年),東北・上越新幹線建設問題(同『高速文明の地域問題』有斐閣,1988年),むつ小川原開発・核燃料サイクル施設問題(舩橋晴俊・飯島伸子との共編『巨大地域開発の構想と帰結』東京大学出版会,1998年)などの日本の大規模開発問題の事例研究に取り組んだうえで,90年から米国・カリフォルニア州サクラメントでのサクラメント電力公社の再生の事例研究を行い,さらにヨーロッパの原子力政策の変化を追うようになって(『脱原子力社会の選択』新曜社,1996年),日本の環境政策・環境運動の閉塞的な状況と欧米のダイナミックな動きとのギャップを痛感させられたことが拙著の問題意識の形成にとって決定的だった。

 日本の環境運動は水俣病の運動に代表されるように,被害者運動および被害者支援運動から始まり,そのため被害の現場の固有性を重視する現地主義的なローカリズムの強い運動だった。そのような運動が被害者支援をはじめとして世論形成,裁判の動向や政策の変更などにはたした歴史的な意義はきわめて大きい。しかし,今日の時点に立てば,とりわけ70年代後半以降の環境運動が全体として直面してきた政治的・社会的影響力の限界をまた私たちは重く受け止めなければならない。日本の社会学も,環境社会学も,マスメディアも,社会運動や環境運動の当事者性を重視してきたが,当事者性だけでは限界がある。

 社会運動の最大の意義と使命は,先導的試行と例示的実践という点にあり,社会運動の政策立案能力や政策形成機能も,この点にこそまず求められるべきであるというのが筆者の問題意識である。運動の広がりは当面は限定的であってもいい。逆にそこに社会運動の先導性のゆえんがあるからである。先導性という点で,原子力問題のような対決型イッシューで国家の政策や国家的な支援を受ける独占企業を敵手とする分野においてすら,拙著の第10章で紹介したような,自然エネルギーの普及をめざすグリーン電力運動という政策志向型の新しいタイプの運動が登場していることを筆者は重視したい。社会的ニーズを受け止め,新たに掘り起こす感受性が運動側に求められている。

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 第2の論点は専門家の役割と課題である。日本の環境運動の力量不足というとき,実はかなりの部分は,日本の専門家の力量不足と言い得るかもしれない。
 本誌5月号で,村松岐夫教授が現代政治学の特質を戦後政治学との対比で論じておられるが,本格的な政策研究がさかんになってきたとされる最近の日本の政治学・行政学において,それにもかかわらず筆者からみると環境政策の決定過程に関する研究が少ないことが残念である。環境政策は日本の政治学者や行政学者にとってはなお周辺的な領域なのだろう。

 環境運動や環境NGOにとって力になる専門家,とくに社会科学系の専門家が日本の場合にはきわめて少ない。公共圏が貧弱であるがゆえに,社会科学系の専門家が育ちにくい,専門家が不足しているがゆえに,公共圏が貧弱であるという悪循環の構造がある。国際的視野で政策の理念や政策手段を論じることとローカルな市民感覚と,双方を媒介しうる専門家が必要である。

 拙著はささやかながら,環境社会学の専門性をどのように考えるかという問いに対する筆者の格闘と筆者なりの現時点での解答だったと言ってもいい。

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 第3は既存のディシプリンと環境研究との関連である。髙村さん自身も,「「国際環境法」の研究者としてのアイデンティティと「国際法」の研究者としてのアイデンティティの間の距離拡大を感じ」ている,と率直に述べておられる。環境研究は対象としての環境問題ないし環境という問題領域とディシプリンとしての諸科学という2つのアイデンティティの核をもっている。この問題はさらに敷衍すれば,学際的な環境諸科学の連携をふまえて環境学を構想していくのか,あるいは,既存のディシプリンに大きく軸足をおいたままで環境社会学や環境法学・環境経済学それぞれの体系化をめざすのか,という将来戦略の問題でもある。拙著13頁でも述べたように,学生・院生の指導にあたって,また学会報告や論文の評価などにおいて,環境研究としての環境社会学に力点をおくのか,あくまでも社会学の一環としての環境社会学という前提に立つのか,日々直面するディレンマでもある。

 20数年前の私の学生時代は「国際関係論」が新しい学問分野としてまぶしく映っていたが,今はあまりこの名を聞かないようだ。おそらく国際経済学・国際政治学・国際法学などの各ディシプリンごとに専門分化した研究が展開しているのだろう。学部や大学院の研究科,学会組織などといった制度的な裏づけの弱い学際研究や領域横断的な研究は,言うはやすく,成熟は難しい。

 残念ながら現時点では,「環境学」の全体像は明確ではない。まず既存のディシプリンを深く習熟させるとともに,その限界を意識し,意識させることが,教育・研究の基本になるのではないか,と筆者は考えている。環境政策を焦点とした環境経済学者や環境法学者との対話の試みは,環境社会学会,環境経済・政策学会,環境法政策学会の3学会を中心に2000年以来毎年6月にシンポジウムを開催し,組織的に続けられている(淡路剛久・植田和弘・長谷川編『環境政策研究のフロンティア』東洋経済新報社,2001年)。淡路・植田両氏と環境倫理学の川本隆史氏と筆者の4人が編集する『リーディングス環境』全5巻も,有斐閣からまもなく刊行開始予定である。個別の論点を深めていくためにも,具体的な政策課題をめぐる着実な対話の積み重ねが不可欠であろう。

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 拙著の「はじめに」において,筆者は,期待を込めて,「20世紀が 経済成長と産業資本の世紀 だったとすれば,21世紀は 環境と市民の世紀 であるべきである」と書いた。戦争が最大の環境破壊であることは言うをまたない。「テロリズム対超大国の軍事力」という2001年9月11日以来の構図に,専門家として,市民としていかに対抗し,「維持可能な社会」をめざしていくのか。私たちの理論的・実証的な構想力が試されている。

               (はせがわ・こういち=東北大学大学院文学研究科教授)

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